武川蔓緒(つる緒)の頁

みじかい小説を書きます。音楽や映画の感想つぶやきます。たまに唄います。成分の80%は昭和です。

映画・ドラマを観る<3>

映画『東京の女』(昭8)
短篇ながら重く、でも無声ゆえ淡々として。
独り洋画な江川宇礼雄、独り和風な田中絹代、間をゆく岡田嘉子。バラバラなピースがシュールさを生む。
筋書きを逆に飾りとするかの如く、時計店?で掛け時計が並ぶ中電話を借りる田中、酒場での気怠げな岡田のシーン等が焼き付く。

映画『朝の口笛』(昭32)
題もキャストも地味だけど、まさにアイドルドラマでトレンディドラマ。マスコミ業界、空港、スケートリンク、鎌倉ビーチ、オープンカー、激しいジャズダンスを踊るホール…さほど笑えぬ小ネタの畳み掛けも御愛嬌。沢村貞子が着物でバイクの後部席に乗るのはちょっとヒヤヒヤ。

ドラマ『素晴らしきかな人生』(平5)
キャラがクドくて話も詰め過ぎだけど、補って余りあるエッジきいた演出が所々に。バーの場面なのにバーを一切映さず男女のアップだけ舐め撮っていく、だとか。夏のドラマだったが、光やカメラの動きがまさに夏そのもので、役者たちを粘っこく引導し落とし穴へ。

映画『夜霧よ今夜も有難う』(昭42)
二谷英明や郷鍈治が東南アジア人! ブレイク前の梶芽衣子が小娘! 浜口庫之助先生も「コンガを叩く男」役で一瞬登場!
と、愉快な映画(あれ?)。「裕次郎ファン男女共に喜ばせねばならぬ」という苦心が伺える内容。浅丘ルリ子は二谷との2ショットの方がグッときた。

映画『ポリー・マグーお前は誰だ?』(昭41)
トップモデルのお話。誰であろうがどうでも良く誰であっても素晴しい。特定ブランドの絡まぬ冒頭のファッションショーに圧倒され。以降ランウェイは無いけど、一応は日常である時間や風景にしれっと流れこむ、奇異な模様、かたち、化物たちの生態が芳しい。


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映画・ドラマを観る<2>

●ドラマ『シャツの店』(昭61)
山田太一脚本、鶴田浩二の遺作。厳格そうなシャツ職人と思いきや、妻(八千草薫)に逃げられ見習い(平田満)に依存するわ、酔ってホステスの胸を揉みまくるわと、イメージに無いダメっぷりを見せてくれる。なんとスナックのカラオケで本人が代表曲を歌ってくれる場面も。

●映画『二人だけの砦』(昭38)
任侠譚か?団地の群像劇か?……結局は定義づけられぬ渋谷実監督の珍品。役者全員、奔放に一人芝居してるみたいなバラバラ加減は、世相を丹念に斬るようでも、孤高のユーモアを積むようでもある。ミヤコ蝶々の達者ぶりもアイ・ジョージの唄も、総て同等なパズルの1ピース。

●映画『青春怪談』(昭30)
太字で描いた風なキャラ描写。乙女全開な轟夕起子も怪演だが、三橋達也北原三枝のクールな美男美女を越え白く骨ばった霊みたいな風情もよろしい。ハイカラな三橋の自宅や、戦後十年の浅草など景色も趣深い。因みに原作は獅子文六、別会社による映画版も同日公開だったとか。

●映画『若き日のあやまち』(昭27)
この時代の妙に大人びた或いは老成したルックスや所作の女学生・教師の像って、何とも趣深く厳粛で奇怪でユーモラス。本作は題の通り、厳格ゆえ?男女共貞操の面がヒビ割れスリリング。風俗街の描写も面白かったが、婦人向けの性指南的な雑誌があったのにも驚き。

●映画『歌え若人達』(昭38)
流石は木下恵介監督、色んな意味で棒読みな暮しぶりの男子寮生たちをチャーミングに描く(脚本は山田太一!)。一枚上手な冨士眞奈美倍賞千恵子も良い。ケータイがなくとも「○○さんお電話(又は電報)です」と若水ヤエ子が放送で報せてくれます。スターも数多くカメオ出演


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映画・ドラマを観る<1>

●ドラマ『岸辺のアルバム』(昭52)
山田太一の代表作ながら、私は「妻の不倫と水害」しか予備知識なく。キャラ達の存外ヘビーな設定のミルフィーユがずっしりくる。でもジャニス・イアンの一見優雅だが端々でふいに感情が荒立つ主題歌と最も共鳴していたのは、やはり妻役の八千草薫であるように思えた。

●映画『マックイーン モードの反逆児』(平30)
コレクション映像、ワザと粗くしてる?
古典への敬意もあったと思うので、観ていると彼って何時の時代だっけ?と錯乱。パラレルワールドを無数に持つ人物にも思えた。別の世界では今もギリギリの、若しくは円熟したパフォーマンスを見せているのでないか。

●映画『華麗なる闘い』(昭44)
岸惠子・内藤洋子主演のファッション業界物。演技や展開が淡白で話が入ってこないが、イメージビデオ的な画作り、当時のモードの泉に溺れる。トリッキーなファッションショーにも引けをとらぬ岸惠子の存在感たるや。アンドレ・クレージュのミニスカワンピも皮膚とする。

●映画『劇場版パタリロ!』(令元)
原作の結構マニアックなエピソードが数多く詰め込まれ、一見さんには厳しそうだが往年のファンには嬉し可笑しい。あの作風を実写で生臭く見せることには賛否ありそうだけど、加藤諒パタリロ始めバンコランにマライヒ、タマネギ部隊など、なかなか健闘したのでは。

●映画『拳銃王』(昭25)
西部劇だが絢爛なファイトは一切ナシ。早撃ちガンマンとして悪名を馳せてしまったグレゴリー・ペックが愛する女のいる街に戻って大騒ぎとなるのだけど。銃に麻痺した社会ゆえか男達も御婦人方も子供も危機意識が薄く、スターか珍獣でも来た風な浮かれ加減も微妙にあり、奇妙。


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私的すたんだーどなんばー<玖>マルタ・アルゲリッチ『ラヴェル:夜のガスパール/ソナチネ/高雅で感傷的なワルツ』(昭49)

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<ピアノソロ集。'74年ベルリン録音>

「歌声は同じものを一つとして持たない物質」という話を先刻したが。
楽器だって、身体を鳴らす訳ではないけれど、アルゲリッチラヴェルなんて域ともくれば、ピアノを弾く奏でる叩くといった概念を超えた、もはや自然現象とも感じられる。

クラシックの演奏家を思うと私は、なんとなく渡り鳥を連想する。生きる限り、片道4,000~5,000キロとかを、海や空や天敵等に翻弄されつつ往復する、仮に仲間が脱落しても救わない救う術のない(逆も然り)、群でいながら孤独な鳥。本当はそこまでシビアに生きなくたって、安住できる手段もあるだろうに。

そんな不可解さもふくめて、自然現象なのだと思う。ヒトがいつの時代から聴き手の心を動かすプレイをするようになったかは知らぬが、「そこまでしなくたって」という次元は、文明の発達とは必ずしも比例せず、鳥が行くべき彼方を見出だし飛翔したのと同じ、至極シンプルな宿命だったのだろう。

むろん私は彼等と知り合いでも何でもないので、弾き手の苦悩とかを何ら気にかけることなく只「現象」に圧倒されっぱなしでいられる。それって当り前なようで、お幸せですこと、なの、かも。

クラシックを聴きはじめたのは、中学のとき、男の友人がピアノを弾いていたから。民家に於いて初めて見たグランドピアノによる、ムソルグスキー展覧会の絵』の有名な冒頭だとかを、私は床で胡座をかき聴いたというか、震動を感じた。はじめて生で間近で感知したという意味ではあれも、「現象」だったと言えようか?
まぁ実際のところは、それほど大したポテンシャルも音楽への志しも、彼にはなかったのだろうけれど。いつしかピアノを離れ、ふつうの大学に推薦で入り、そこを1年で辞め、やがてどこで何をしてるかも掴めなくなった。

そんな、渡り鳥になれなかった(ならなかった)彼のピアノの影響かわからないし、彼から借りたのはアシュケナージか誰かによるショパン1~2枚だけ?だったけれど。孤独でシビアな渡り鳥の美しさを、知る大きなきっかけとなったのは確かだ。未だにクラシックのCDを選ぶなら選択肢はピアノソロか、なるべく少数の室内楽曲のみ。
このアルゲリッチラヴェルに出会ったのは大学時代だったと思うが、私の中では不動ベスト1の「現象」である。


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私的すたんだーどなんばー<捌>ジェーン・バーキン『ロスト・ソング』(昭62)

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<女優・モデルでの活躍と同等か、ひょっとすると日本ではそれ以上に歌手として名を馳せた稀有な存在。セルジュ・ゲンスブールと組んだ6枚目のアルバム>

小林麻美よりも早瀬優香子よりも、バーキンを知ったのは後だった。
高3のとき、某アーティストインタビューの「この曲はバーキンみたいに歌いたかった」という言葉だけをたよりにレコード店へ行き、声さえ知らず、買った。結果もちろん一耳惚れ。
あのきっかけを逃していたら、ウィスパーのミューズをもしや今も知らずにいたか?

歌声って物質なんだ、ということをいちばん教えてくれた歌手だと思う。誰一人としておなじ楽器(喉)は持っていない上に、各々のバックボーンや新たな出会いでケミストリーが起こる、そういうものだと。
バーキンを語る上でたいていの人は「歌唱力は……」と付け加えるが、私は「こんな巧い歌手はいない」と、今でも思っている。まぁ正確に言えば、「こんな素晴しい物質はない」だけれども。'68年ゲンスブールに見出だされて以降、半世紀過ぎた今なお、単に懐メロ歌手としてだけでなく求められてやまぬ、物質。

はじめに聴いたのはベスト盤だったが、敢えて選びたいのがこのアルバム。
バーキンはさておきゲンスブールの楽曲って、「フランス70'sの輝き若しくは燻り」みたいなイメージを抱きがちだが、実際はセルジュが亡くなる前年('90)までバーキンとのタッグは続き新作リリースもあったわけで。『ロスト・ソング』も'87年、曲こそシャンソンか小唄チックな短い小節によるコーラスを呪文の如く呟きつづける手法はそのままだが、アレンジでエレキギターかき鳴らしてロックしたり、キーボード主体でアーバンなAORしたりもちゃんと(?)やっている。
バーキンもまたジャケ写のビジュアル(どれもバストアップだが)において、1作目から年代順に並べたら半ば別人みたいにムードを変えているし(本作と『バビロンの妖精』はまさに「ザ・80's」って顔してる)……今となっては世界の名画も同然の普遍性を薫らすあの二人も、目まぐるしく移行する時代を、手を取り合い、ニコニコかフラフラかハラハラかオロオロかわからないけれど、渡っていたのだと気づく。

私的にはこのアルバムあたりの、ちょっと賑やか過ぎる感じが却って、バーキンの囁き或いは喘ぎの闇夜めいた芳香を、呪文の効果を高めているようで、好きなのである(ただ、ライヴだとしっとりしたアコースティックがやはり似合うかな、とは思う)。


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私的すたんだーどなんばー<漆>『魅惑のムード☆秘宝館』

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<昭和40年代を中心にセレクトされたお色気歌謡曲のコンピ。著名な辺見マリ『経験』奥村チヨ『恋泥棒』なんかも入っているが、それ以外はほぼ知られざるラグジュアリーな、或いはインモラル、裏街道的な世界観がフェロモンたっぷりに展開される>

私の邦楽の趣味は80年代からスタートして、そこからいきなりSP盤(50年代以前)に飛び……そのはざまである60~70年代あたりに親しむのはかなり遅かった。聴いてはいたが格段に好きな歌手も見出だしておらず、何が魅力かも掴めずいた。

そこに友人が聴かせてくれたのがこのオムニバス。

あぁそうか、「色気」なんだ、と、あっさり腑におちた。

専業作詞家による、俗っぽさと文学性をおびた言葉。恋に生きるの死ぬのと喘ぐ歌声および楽器……シリアスなようでどこか冗談めいて、Mっぽく見えて猛々しさがあり、下卑ているようで潔く美しい……
ある種往年の芸妓のような婀娜っぽさが、この時代のエッセンスなんだと、マニア向けである筈の盤から、私個人は得心した。

この盤には叩きあげた正統派シンガーから、女優、グラビアモデル、ニューハーフまで登場するが、「ある種芸妓」であるからして、みんな媚態を見せていながらも、寧ろそれは威嚇にも近いニュアンスで、生半可な男などおいそれと寄せず、たぶん同性をも圧倒し、結構カッコいい?とまで思わせるオーラを纏っている。

音楽とビジュアルにあまり乖離がないのも、この時代ならでは。エロ路線だとよりコンセプチュアルになって、尚且つコスプレとかに流れずファッションとして成立しているのも興味深い。
ただこの盤のジャケットは何故か現代(たぶん)のイラストレーション(インナーには各楽曲のジャケ写あり)。ちょっとイメージと違うので、あい杏里『恋が喰べたいわ』の肉食獣ジャケ写を載せておく。


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私的すたんだーどなんばー<陸>淡谷のり子『私の好きな歌』(昭26~34)

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SP盤の魅力に取り憑かれるきっかけをくれたのはこの御方。

鈴木清順監督による映画『夢二』のエンディングで流れていた『宵待草』が出会い(あの音源は未だ手に入れてないのだけど、いつ頃歌ったものだったのかな?)。
以後、NHKの『ラジオ深夜便』等で流れていた本人特集や服部良一特集だとかを追いかけ、MD(!)に録音する日々が始まった。思えばあれは本人が亡くなってまだ間も無い頃だった。

日本最初のシャンソン歌手で、声楽の素養を活かした歌唱法は華がありつつも、表現過多にならず寧ろ抑制が絶妙にきいており、和的なワビサビ、水墨画のような美さえ感じさせる。反して衣裳はゴージャスだったけれど、「歌手にとって戦闘服」という美学に基づくがゆえだろうか猥雑とはならず、不思議なバランスが取れていたと思う。
最初でありながら、今後も決して現れないタイプなのだろう。

戦前からCDの時代に到るまで60年以上、レコード会社を放浪しつつ活躍しつづけたわけだが、幸運なことに殆どの会社での歌唱がデジタル化されており、現在では中古もふくめれば大概入手できる。

そんな中で取りあげたいのが、50年代に所属したビクターの音源3枚組。
1枚目が和製のオリジナル曲で、2~3枚目がシャンソン・ラテン・ポピュラー等の舶来物。
「和製」をあまり好んでいなかったらしい本人としては、想像だけど、シャンソンの隆盛もあり続々リリース出来喜ばしい時代だったのではないか。年齢的にも声に張りとえもいわれぬ淑やかさがあり、ビクターオーケストラの音色も美しい。アコーディオンアンドレ・レジャンら少数精鋭による粋なプレイもあり。

ブックレットの解説も丁寧で、写真も豊富。
2枚目の写真は、浅草のマルベル堂へ行った時に買ったプロマイド。


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