武川蔓緒の頁

みじかい小説を書きます。音楽や映画の感想つぶやきます。たまに唄います。成分の80%は昭和です。

小説『Z夫人の日記より』<30>

9月某日

陽ざしがほんの少しやわらかくなってきている。風もやさしい。
電車と徒歩で30分ほどのところにある人工の砂浜へと散歩にゆく。

ちょっと時期外れに、水着姿でバレーボールをしている女たちがいた。

時期外れなだけではない。ここは海がちょっとあわく緑がかっており(珊瑚礁が映す現象に非ず、入浴剤をそそいだみたいな不自然な濁り)子供でもふざけて入ろうと思わぬ代物で、砂や道路沿いの椰子の木だって何処からかはこばれたに相違ない、飽くまで近隣の人々の散歩やマラソン、時おりデートのコースとしてのみ役立つ形だけをもったモデルハウスならぬモデルビーチなのだ。泳ぐ人はもちろんマリンスポーツに興じる人でさえこれまで私は一度も見たことがなかった。

彼女たちは、だからどうなの? とばかりにほどよく日焼けし、肌に汗の滴を光らせすべらせ、東西におおざっぱな線でわけられたバレーコートのゲームに戯れ舞っている。季節の流れも相まってか真夏のそれより総ての輪郭がどこかやわらかい。

にしても打ちあうボールが、なんだか派手なうえ音が重たげ……と思ってよくよく見たら、濃密な緑に黒の縞がツヤめく、西瓜だった。ビニールでなくほんとうの、どっしりした西瓜。それを打ちあっているので、当然ほどなくして割れ、赤い身があらわれ飛沫をあげる。
するとホイッスルが鳴る。どうやら競技のノーマルなルールに加え、西瓜を割ってしまった側が負けとなるらしい。サーブでもトスでもアタックでも、打った時点で割れたらそちらの負け。
だからか。女たちの躯の輪郭やうごきがバレーと言うよりも、秘密をおびた酒宴における艶かしい舞踊みたいにやわらかいのは季節のせいだけでなく、西瓜を割らないためなのだ。

果てなくひろがる緑の海を借景にたたかう女たちの手前に張られたテントの屋根の下をのぞけば、東側にきれいな西瓜がずらりと列をなし、西には惨殺されたみたいな使用後の西瓜が乱暴に積まれている。かたむき始めた陽をあび妙に懐かしいもののようにも見える。食べるのだろうか。

女たちの肌をつたうのは汗でなく、うす紅い西瓜の汁なのだった。黒子みたいに種も躯のあちこちにくっつけている。


©️2019TSURUOMUKAWA

音楽を聴く<10>

徳丸純子『青のないパレット』(昭58)
全編曲、清水信之。全体は意外とセピア寄りの旧き品よき、明朗さと陰影が半分ずつのアイドル像が丁寧に造られた印象。
でも私的には清水氏らしいエッジの効いた『ガラスの靴はいらない』等がツボ。徳丸さんの声質もベストに近い相性で眩しい異境をわたりゆく。

村田有美『卑弥呼』(昭56)
矢野顕子曲提供、で検索したら出た。全く知らなかった。囁きから絶叫迄実に七色の声だが、総て音程を外さない。演技というより音としてニューウェイヴの楽曲(プロデュース清水靖晃)と相性抜群に共にある。躁鬱のフリした冷徹なカップルの音楽実験或いは舞踏、なのか?

原日出子『約束』(昭56)
この人も歌手として実に勿体無い存在(劇団四季研究生がキャリアスタートだそう)。河合奈保子っぽい清らかで丁寧な歌。曲は松本隆×筒美京平コンビによるストーリー色の濃い和ボサでキャラにもなじむ。
他にもシングル数枚出たようだけど現在CDで聴けるのはこの曲のみ?

池上季実子『あなたなら』(昭50)他
伸びのよい裏声。
16歳で歌った松本隆作詞『あなたなら』はカケオチソングで「涙で濡れたブラウスが花嫁衣裳」ときた。
25歳で歌ったなかにし礼作詞『幸福の階段』は「神様が階段揺すって振り落とす」ときた。5分の長尺で1コーラス毎上るキーがスリリング。

坂本スミ子『おスミのラテン・ヒッツ』
'60年代音源。「ラテン=豪快・鷹揚」という安直なイメージに留まらず、曲が陰でも陽でも粘りつく感触をもたせるとこがリアル。熱帯夜の微睡みの如くメロと和音がうねる『シー・セニョール』、敢えて静謐なボサにした『ベサメ・ムーチョ』等お気に入り多々。


©️2019TSURUOMUKAWA

小説『Z夫人の日記より』<29>

9月某日

子供の頃から続いているペンフレンドがいる。当時流行っていたのだったか親または学校教師の勧めか、きっかけはもう忘れたがとにかく始まって、以来かれこれ30年超、未だに定期的なやり取りをしている。こちらもあちらも、もはや条件反射で便箋および封筒・切手を文具店にて買い、ペンを走らせているのかもしれない。

ペンフレンドはたしか性も齢もおなじなのだが、会ったことも声を聴いたことも一度としてない。物理的に距離が近づくことがあれば気まぐれでアプローチを試みた可能性もあったかもしれぬが、年月のなか幾度互いに棲み処が変れど、遥かに遠いのはそのままだった。

最初の頃はぎこちない丁寧語を使いあい、まことも嘘もまざりあった(私は間違いなくそうだったし、先方にもそんなフシが似たような立場ゆえか感じられた)当たり障りない暮らしぶりを語りあう、紙面だけを見ればまるで絵に描いたような繋がりだったけれど。

学生時代も終ったあたりだったか、今やペンフレンドなる存在さえ本人たち以外は誰もが忘却の彼方、むろん干渉なども一切されなくなった状況下において、型どおりにする必要は何らない事にお互いあまりにも遅蒔きながらうっすらと気づきだし。現在も封書で送りあってはいるが、果たしてどちらからそんなことを思いついたのだったか、広々した便箋のど真ん中に、さながら電報みたいに一行だけ、近況だか心境だかうすらぼんやりしたものを伝え合うようになった。今日彼女から来た報はこれである。

「近所の服屋、つぶれた。困る」


©️2019TSURUOMUKAWA

小説『Z夫人の日記より』<28>

9月某日

深夜、終電の近づく時刻。誰もが何処かのレールへといそぎ足となっている巨大ターミナル。
私も地下より、上りエスカレーターをヒールでうるさく鳴らし駆けあがっていた、その際。

すぐ隣にある、下りの乗り口あたりで、ティーカップを手に持つ女を見た。儚げな白い磁器の、ティーカップである。湯気が、たっていた。間違いなく、中身がある。

シャーリングが上品なブラウス、ターコイズブルーのスーツ上下を着、ボブの髪がしなやかな、三十路ぐらいとおぼしき女は、けっこうな長さのあるエスカレーターの高みから、まるでビル高層の窓より蟻がうごめくような雑踏を優雅に見おろすかの如く、ゆたかな髪と睫をあそばせ艶のよい唇にほんのうっすら笑みをうかべ、右手にもつ白のティーカップから湯気をふわりと浮かせ、エスカレーターの動きだけに身と湯気のゆくえをゆだね、この慌ただしい場に於いてひとり悠然と、佇んでいた。

私とすれ違うまでの間、女はカップに口をつけることはなかった。このあとエスカレーターを下りきっても、たとえこの街のもっとも底深い場所に沈みこんだとしても、女はきっと人々を蟻として見おろす視線を変えることはなく、カップの中身も枯れず湯気も冷めずのぼっている気がした。女の微笑と、カップの重みを知らぬ風に筋も皺も見えないやわらかな指さきにあらわす感情は、キリギリスの侮蔑か優越感か、または聖女の慈愛か、はたまた塵ひとつもない只のがらんどうなのか……読みとる術はなかったが。

ともあれ終電が迫っていたので(なぜ終電に乗らないといけないんだっけ? と一瞬錯乱したが)私は、こちらに匂いの届かなかったカップの飲み物が何だったのか振り向き見ることはしなかったが、「あれは紅茶だった」と、どういうわけかそれだけは今も確信している。


©️2019TSURUOMUKAWA

音楽を聴く<9>

篠ヒロコ『悪い遊び』(昭45)他
女優業よりも、いずみたく門下からの歌手デビューが先だったとは! アダルティーと青春の間を見事に歌いあげている。
リリースは長く続いたし、ドラマ『金妻』では歌唱シーンもあったそうだから、歌への愛はあるよね? せめて纏まったベスト盤を出して戴きたいもの。

ゲルニカ『改造への躍動』(昭57)
歪んだSP盤の流行歌、近代~現代音楽、テクノポップ……等の狂おしき融合。波動を総て受け止め怪演で応える戸川純。楽曲が戸川を寄せたか戸川が楽曲を寄せたか? 不明だが。何にせよゲルニカを私はあまり聴かない。聴くと他の大概の音楽がつまらなくなる気がして。

坂田晃一『テレビドラマテーマトラックス2』
殊に70年代邦楽のメランコリーと郷愁の象徴か、結晶体のようなエバーグリーンの存在と思う。詞どころか歌手名までをも切なく響かす。歌声が石川セリに限らず少し異国の人に感じられるのも趣深い。
ところでドラマのデータを読むとどれも観たくて堪らん!

朝丘雪路ゴールデン☆ベストVol.2』(昭33~37)
ジャズでもラテンでもムード歌謡でも、男性に負けぬ声の重量感を出すかと思えばちゃっかり娘役の顔に戻ったりヅカも仰天の婀娜っぽさがあったり……
霧か煙草の如く漂わす吐息のテクニックが特に絶品だと思う。乙女の時も女豹の時も、映える。

寿美花代寿美花代とともに』(昭36~37)
宝塚トップ時代。しっとり聴かせる『ビーナス』から興奮の頂点『華麗なる千拍子』迄、歌劇役者の盤ならではの緩急と臨場感に姿なくとも胸躍る(編曲は前田憲男他)。「男」役に固執せぬ風な声はどんなテンションの曲も茶目っ気を含ませ優しく包み込む。


©️2019TSURUOMUKAWA

音楽を聴く<8>

ニャンギラス『最初で最後』(昭61)
おニャン子クラブ内の所謂色物ユニット。とは言えかっ飛ばしているのはシングル曲ぐらいで、他は夏終盤のリリースに合わせたアイドルナンバーがならび時に切なくさせられたりも。
樹原亜紀って良い素材だと思う。渋谷系の人とかと組んだらきっと面白かったろう。

西村知美『天使時間』(昭63)
今更だけど西村知美が歌うのを想定して曲が書かれているのに感動する。只簡単なメロをという事でなく(細野晴臣大村雅朗は手加減無いし)。ファンタジーやSFと児童唱歌を織り交ぜた風な世界観が大正解。色恋は要らないのかも?
サエキけんぞうの詞が予想外に嵌る。

ラジ『真昼の舗道』(昭55)
テクノな音使いよりも、シャンソン風味の詞を軸にタンゴ・クラシック・オールディーズ……と多彩な曲調で攻めた所が面白い。A面は手堅く、B面は個性強め?
私的には『真昼の舗道』~『霧の部屋』の痛切な流れが好き。矢野顕子作『みどりの声』のやさぐれ加減も癖になる。

いしだあゆみいしだあゆみ』(昭56)
ティンパンアレーの次はパラシュートとのタッグ。歌謡曲とニューミュージックとが各々傷つけ合わずしかし躊躇わず真髄を貫く様子は、安易な企画モノでない活け花のような存在感を薫らせる。
作詞は岩谷時子ユーミンユーミンも結構色香と情念の焔を見せる。

荒砂ゆき『夜のメカニズム』(昭45)他
本業は女優らしい。台詞はきれいな声で話すのに歌に入った途端、愛の脱水症状って感じのハスキー声に化けたりする。音域も広いし、歌手業の短さは惜しい。
ときにデビュー曲はウッドベースソロで渋く始まるが、歌謡曲でそういうの殆ど無いのでは? 新鮮。


©️2019TSURUOMUKAWA

小説『Z夫人の日記より』<27>

9月某日

夜。ことし出来たばかりのきれいなビジネスホテルにチェックイン。部屋は13階だった。

窓のブラインドを上げると真下には、昔から仕事などでたびたび通っている国道がライトの河を流すのが見える。

……ホテルが建つ前ここには何があったっけ? と考えるが思い出せない。すべてのかたちが朧になった夜ならば尚更、現在のことでさえさして定かではない。だが、これほど高いビルは辺りになかったことだけ確か……あやふやな街の記憶をめぐらせながら服を脱ぎ、化粧をおとし、シャワーの栓をひねる。躯をつたう湯が、眠気をさそう。

そのとき、目の前が闇になった。

停電……でないのは知っている。粉のようなよるべない光の粒子が、私の躯をかこんで散らばる。
そう、シャワーヘッドから噴き出す湯と私の白い躯だけは変わらずはっきりと見え、まわりだけが闇と言うか、夜の、屋外なのだ。真上には湯気で曇ったかのような月があり……恐る恐る下を見ると、あの国道が先刻とおなじ塩梅で光の河を流しており、岸辺ではビジネスビル群の星系と歓楽街の星系とがまざりあい……最果てはどの方角に目を遣っても儚げながら眠らぬ2~3等星がふぞろいにならび、殊に窓からは見え辛かった河の北方においては、都心の星雲が幻惑するように瞬いている……

ホテルを電話で予約した際、さらにはフロントで、同一人物でこそないがいずれも男性のかなり入念に演技指導をうけた風なやさしい声色でかさねて注意をされたとおりだった。
「当ホテルは竣工してまだ間もないものですので、この土地に刻まれた記憶が、うっかりと過去の風景を映し出すことがございます。危険は一切ございませんが、高所恐怖などを御客様がお感じになられるようでしたら………」
足もとには案の定、せいぜい3階ぐらいの雑居ビル屋上が四角く、傷んだスライスチーズをかさねたみたいにのっぺりと。あれがホテル以前に在ったものだ。道路をはさんだ斜向かいの屋上に、一時期かなり売りこまれていた女性モデルの看板がやたらまぶしげに照らされている(たしか仕事を投げだし男と逃げ以後姿を見ない)から、夜景はホテルが建つより少なくとも5年ほど前のものと思われる。この近辺はテナントこそ替わっても造りの旧いくすんだ建築が存外に根づよくのこっているから、突如テカテカとあらわれた最新鋭ホテルという存在を物質を、ホテルマンが言うように「土地」がもつ意識?意志?深層心理?が、さながら厚い皮膚にささったきれいな棘のような異物ととらえたまま、まだ受けとめきれずにいるのだろうか。

何はともあれ。私はいま素っ裸で、夜の上空にいるわけである。浮いているのでなくユニットバスの感触が確かなので危惧したほどの恐怖感はないものの、「『土地』の記憶違いは数分ほどで戻ります」
と言っていたのに元のホテルに戻る気配がないので困る。仕方なしにボディソープやシャンプーなどを手探りでつかみ(「過去」が映っている間「此方」ではじかに触れるものしか見えないのである)、躯を洗った。輪郭のくっきりした泡たちが街の星々とかさなりながら私の肌できらきら踊り、そして湯に流され沈んでゆく。

9月某日

朝。2階のフロントにてチェックアウト。

昨夜は寝床につくまで部屋が消えたり戻ったりをくりかえしていたが、目覚めて以降は安定しているようだった。

ホテルがこのような状況でも、フロントにはかなりの客が列をなしており、誰も文句を言わないどころかほんのちょっと愉快げで、従業員たちも穏やかである。私は混雑がおさまるまでロビーのソファーに沈み待つことにした。

……しかし、10分ほどうたた寝をしただろうか、蕩けた目をひらくと、人の気配がうすまらないどころか、増えている?
宿泊客と従業員のほか、明らかに場にあるまじき動きをしている者たちが、いる。目をかるく拭き瞬きなどして視界を澄ましてみると、あるまじき動きは、あらゆる色のレオタードをまとい、脚を腕を、髪のテールを舞わせる、バレエダンスの人々だった。いちばん左奥にいる先生らしきしなやかな人物と向き合う、プリマを夢見るような、または惰性でうごく風な女の子たちから、トウシューズで立ちながらトウも十二分に立っている女性たちまで、実に様々、いた。全面が鏡ばりの壁にその模様はくっきり映り、人数がさらに倍となる。ホテルの客もその光景が見えているようで、スーツの小肥りな男がマネて一緒に踊り連れを笑わせている。

そうだ、ホテルが出来る前この2階はバレエ教室だった。車からでもおおきな窓にピンクで書かれた「○○○子バレエ教室」の字と、レッスンの様子が頭からつまさきまで露に伺われて、丸見えなのによく恥ずかしくないなぁと思ったものだが、今こうして間近で眺めると、何の繋がりもないながら妙になつかしい。
いつの間にか私のソファーの側にもダンサーの卵たちは来ており後ろでは女児が青い左脚を、前では私よりも歳上とおぼしき女性が真紅の左脚を、まったくおなじ角度で高々とあげている。


©️2019TSURUOMUKAWA