武川蔓緒(つる緒)の頁

みじかい小説を書きます。音楽や映画の感想つぶやきます。たまに唄います。成分の80%は昭和です。

掌篇小説『Z夫人の日記より』<66>

12月某日

近所で、今日しなければいけなかったこと。

・銀行でお金をおろす、振り込む
・二食分ほどの惣菜を買う
・菓子(甘味)を買う
・風邪予防のマスクを買う
・髪のトリートメントを買う
・ラジオの乾電池を買う

メモまでしていたが、小雨がぱらつきはじめたのであわてて店をまわったところ、乾電池だけ忘れて帰った。いちばん切羽詰まっていない物だったからか(菓子はしょっぱい物までよけいに買ったが)。電池も無ければ困るけれど、夫が何時の間にやら帰宅して何時の間にやら買い置きしてくれることが多いので、自分で手に取るという考えが抜け落ちている。

インターホンが鳴った。玄関を開けると、雨脚が相当つよくなっているようで、姪(次女の方)がびしょ濡れで立っていた。
「電池買うの忘れたでしょう」
恨めしげに私を見て開口一番言った。
「やることやらないと、どこかに跳ね返ってくるんだからね。とくに電気系統は。どうせお菓子ばっかり買って……」
姪は喋りながら勝手に洗面所へと雫をたらし歩いていった。かわりに電池買ってくれたのかな、と淡い期待をしたがそれはなかった。鳴らないラジオのかわりに閉めきれていないドアのすきまから雨がノイズを響かせている。


12月某日

今日は都心へ。大型の書店、電器店、デパートなど。

平日だが師走ゆえかどこへ行っても人が多い。

それはいいが。今日はどこであっても人が私をよけてくれない。気のせいでなく、たしかに。
雑踏に長くいると人間がただの障害物にしか思えなくなる、あの感覚ともちがい、私は障害物ですらない透明な存在みたいに、正面から老若男女がためらいなく、来る。
おすましな格好でスマートに買い物をするつもりだったのに私は大股でワンピースをひろげ跳ねたり身をCの字にのけぞらせたり髪をふり乱したりしてよけ続けねばならなかった。むろん全員はよけきれず時にぶつかりもし。勢いがつよく倒れそうになる時もあったが……相手は私と同様のダメージを負っている筈なのに、びくともせず、当人や連れの人ですらまるで気づかずに笑いあっている。
汗をかき化粧が眼にしみた。

自棄っぱち気味に、予定どおり店をまわった。書店のレジカウンターに身を乗りだし店員の手元を息がかかるほどのぞきこんだりベストセラーらしい推理小説のエンディングを大声で朗読したり、ブランド店のいちばん高そうなコートを勝手に試着し店の外までうろうろしたりミュージカル調に歌い踊ってみたりしたが、やはり誰もこちらに焦点が向かない。否、あちらの黒眼やメガネレンズはとても澄んでいて合唱みたいな大口で真犯人の名を読みあげたり布地の多い変わったドレープのコートを蝙蝠みたいにひろげる私の残像はたまたくっきりした姿さえ見受けられるのに、ひとりとして、ほんとうにひとりとして、私を認識せず。
……ついには、女児とぶつかって、派手にころんだ。あちらは飄々と、ぬいぐるみ売り場へとお出掛け靴を鳴らし駈けてゆき恐ろしく長いキャラクターの名前を母親に向かって希望と煌めきに満ちた声で叫んでいた。

帰宅して、乾電池がないことを思い出す。買い物は当分御免なので、夫が何時の間にやら買い置きしてくれるのを待つほかないようである。


©️2020TSURUOMUKAWA

掌篇小説『Z夫人の日記より』<65>

12月某日

スーパーへ行く道中にて。横断歩道のむこう、信号待ちをしている白い筒があった。形やおおきさは円柱型の郵便ポストをやや肥らせた感じか。
筒には手と足がついている。上部も円くくりぬかれており、人の顔が鼻のあたりまで出ている。信号が青になり筒が歩み寄ってくる。私を見てこんにちは、と言った。包帯かターバンかというようなのを被ったうえに眉まで隠れるゴーグルをしていたがその顔は、おなじマンションに住むやや年上のR夫人だった。何事か聞くと、
「あら、これ御存知ないの? お洒落とか流行りとかをぜんぶ、放棄したい時のための標準服ですよ」
日々頭のてっぺんから足のつまさきまで、磨きをかけ時には傷つけ、流行りの色やかたち、似合う似合わないに振り回され、コーディネートという如何なる学問より難解を極めるうえほんとうの答えなど永劫得られぬ数式につかれ果てモチベーションが枯渇してしまったときのための、「公に制定された、格好のよいも悪いもない、とこしえの標準服」なるものが発売されたという。白い筒、長手袋とブーツに躯の輪郭はすべて隠され、歪んだ街路樹や私が映っているミラーレンズのゴーグルは仮面も同然。
「あったかいんですのよ。かるくて、着やすいし」
R夫人は肥った郵便ポスト型の見た目にそぐわぬ、おおきな積み荷をおろしたかのような、かるく跳ねる足どりで、去った。

買い物を済ませ、しばらくぶらついてみたが、「とこしえの標準服」たる白い筒におさまった者は一人も見なかった。


©️2020TSURUOMUKAWA

掌篇小説『Z夫人の日記より』<64>

12月某日

どこぞに出張中の夫から電話。

「夜中の夜中に酔っぱらって誰もいないタクシー乗り場で待ってたら、ガラガラガラ……って重たいような軽いような音が近づいてきて。見たら、真っ黒の、馬を連れてない馬車みたいのが、乗り場に停まったの。アウトラインはなんにも見えなかったけど、車輪とか窓枠とか、ボディを縁取ってる浮き彫り細工の銀とかが、キラキラしてクールって思ってさぁ……運転手はまんまピエロって感じの、ニヤ笑い顔がはりついた、白い細い男だったけど、乗っちまった。

ところが乗ったら、エンジンは煩いわ油くさいわ、揺れが酷くてひくい屋根に頭ぶつけるわ吐きそうになるわスキマ風ふきまくって寒いわで、風情も何もねぇ。それなりの街なのにさ、窓からの景色もなんでかずっと真っ暗なんだ。奥行きあるような、カーテンひいただけのような、変な暗さ。

……で、ホテルまでせいぜい千円の距離だってのに、『13万円です』だと。ヘラヘラした裏声でさ。ペラペラ漫画みたいに軽い運転手だったから蝶ネクタイ巻いてる襟首つかんで派出所まで引きずってやった。後は……そいつのまるで蝋細工で固まったみたいな白いニヤ笑いしか覚えてない。目が覚めたら部屋で寝てた。

……俺は過去にいたのか? それとも物価の百倍になった未来にいたのか?」

財布は千円だけ減っていたとのこと。


12月某日

「こんばんはモグリです」

という言葉をかならず言って登場する芸人がいる。「モグリ」という芸名ではないが、言う(向き合う芸人がその場にいると「モグリなら帰れ!」「え、フグリ?」などと返したりもする)。朝でも昼でも「こんばんは」と言う。どんな番組でもなじまない様子と、ほんとうに人知れぬ常夜の沼にでも潜って暮していそうな地味さとライトを浴びてもどこか消えぬ影、反して、愛らしくもある丸っこい顔と体型、居直った態度も作用して……結果としては、不思議に笑いを誘う。

しかし今日は、十年ほど前の彼の映像が流れた。当時も「こんばんはモグリです」と言っているが、場に可笑しみは、くらべるとかなり薄く、共演者たちも絡みづらそう。彼自身居直りきってもいない感じで、発音がオの段に寄りがちでちょっと弱々しく、体もほそく……文字どおりのモグリである男か、もしくは人でない存在がテレビ画面に不法侵入したとしか見えない。

驚いた。その差異にと言うより、彼が十年間、あの挨拶を懲りずめげず絶えず言いつづけ、遂には世に浸透せしめたという事実に。


©️2020TSURUOMUKAWA

掌篇小説『Z夫人の日記より』<63>

12月某日

 お昼まえ、姪がふいに訪ねてきた。アイドル歌手をしている姪の方でなく、ふつうの高校生であるその妹。身内の贔屓目かもしれないが、姉の見た目が「陽」のイメージとすれば彼女には「陰」の魅力がただよい、ふたりがそろってメディアに存在したらちょっとおもしろそう、と想像したりもする。と言って薦めようとまでは思わず、彼女も業界にさして興味はなさげである。
 彼女は平日に制服姿でなく、タートルネックセーターにロングコート、プリーツスカートで、左の薬指には銀のリングをつけ、うすく化粧をし、ゆるいカールの髪をゆらし。若者っぽい過剰さも欠損も見あたらず、幼子を家政婦にでもあずけ出かけてきた優雅な若奥様にしか見えなかった。
「今日? 学校休んでるの。元気だけど」
 と、姉とはちがい喋っているのに静寂がますような声で言った。学校において何か問題があるわけではなさそうで。
「出席日数とテストの点さえクリアして、休むときもつつましくしてればいいわけで、わざわざよけいにかよう場所でもないじゃない? それはいいのだけど」
 肩からおろした革のトートバッグから、有閑マダムにそぐわぬうすよごれた青の学生ノートを彼女はとりだした。学校を休む際は担任教師と交換日記みたいなやりとりをせねばならないという。
「こないだは月曜から土曜までぜんぶ休んだから、6日ぶん書かなきゃいけなくて。そのうち4日は風邪だとか生理だとか適当に言って、あとの2日は……なんだったかしら、ええと、『雑踏にいて、他人の悪しき心をテレパシーで読みすぎてしまって倒れた』と、『考えごとして歩いていたら知らない町にテレポーテーションしてしまって、学校に戻れなかった』って書いたの。まぁ、おおげさではあるけどまんざら嘘でもなく」
 たしかに、彼女は幼いころより理屈で説明のつかないことをするのだった。隠れんぼ遊びのとき自力で行ける筈のない瓦屋根のうえにいたりマンホールを突きぬけた底より声が響いたり、しかし助けずともいつの間にか目前にもどってきていたり。曾祖母が脳溢血で急死したと報せがくるより30分ほど前に、もっているだけの暗い服を部屋に散らし、お葬式ってはじめてなのよねぇ、と呟いていたり。姉夫妻および長女が揃って鈍感なのかお気楽なのか、まるで頓着しないので、私が、そういうのさ、人にはかくしといた方がいいよ、と忠告すると、まだ小学校の半ばぐらいだった彼女は、
「だいじょうぶ、相手はえらんでるから」
 と同級生にでも話すみたいにやわらかく微笑んでいた。今もそんな調子で彼女は、交換日記ノートを私の前でひらいて見せた。筆圧のないふわふわした彼女の字が頁の左側にあり、右側にはそれを読んだ担任教師によるコメントと判子が。担任の字はすべてが英字の筆記体よろしく流麗につながって見えて、且つ劇画の如く濃ゆいもので。
『悪しき心を読むのは若いほどに辛いものかもしれませんね。穏やかな音楽などを聴き、ゆっくりと休んでください』
『テレポートしたあと御宅へは無事に帰れましたか? 遠くへ思いを馳せるのも時には良いですが、身近な日常を大切にしましょう』
 と、言葉は一見やさしいが、羽箒でくすぐられているかの如く、どこか違和感を覚える。巫山戯たこと言ってないで学校来い、とか怒られた方がまだマシかもしれない……と他人事ながら眉をひそめていたところ、彼女がノートをそっと指でさげて私をまじまじと見、
<そういう顔すると思ってたの>
 とばかりに、声もなく口角をあげた。夜更けに電話してくる姉と悪戯っぽい性格は似てると言えば似ているが、そこにながれる空気の色はまったくちがう。どちらも嫌いではないけれど。
 やれやれ、と思いながらテレビをつけると、教育番組で『超能力への理解』という番組をやっていて、女性アナウンサーと研究職っぽい男性と、十代だろう男の子女の子がテーブルにつき神妙に話していた。私はますます気がぬけて、彼女は冬蜜柑をつまみながら、テレビに向けた横顔はずっと笑みを浮かべていた。ひろがるスカートは艶をもちまどろむみたいにプリーツの線をくねらせていた。


©️2020TSURUOMUKAWA

掌篇小説『Z夫人の日記より』<62>

11月某日

ターミナル駅構内のロッカーを使おうとしていたら、後ろから知らないおばさんが、「これも一緒にお願い!」と言い中くらいの紙袋ふたつロッカーに押しこみ、ロッカー料金の半額を有無言わさず手渡し、言いかえす間もなく背をむけ駆けていってしまった。背のひくく福々しい身体が人混みにまぎれすぐに見えなくなる。

それから夜おそくに受け取りに行ったが、待ち合わせもしていないし荷物は当然そのまま。駅員だとか売店のお姉さんに言ってみても、「そちらとは無関係ですので」と。何故かとくに駅員はロッカーと罵りあった末離縁でもしたみたいに断りかたが冷淡だった。

翌日。やはり気になって仕事のあと、車で送ってもらう途中おろしてもらい、件のロッカーへ向かおうとするが、なじみのうすい方面でおりたからなのか、どんどん見覚えのないところへ行ってしまう。どう迷おうとこのエリアにおける城塞とも呼べる駅へゆけないなんて有り得ぬ筈が……人気は見る見るうすれ。オレンジのライトだけが光り車がうなり流れゆく地表と高速の二重にかさなった道路と、そして闇にしずんだ河にはさまれた場所にぽつんといる。

……やがてうたた寝から醒めたかの如く駅に戻っていたが、あまりに気掛かりで覚えていた、自分とおばさんのロッカー番号だけが、どこをどう探してもない。まるで不合格か無関係とばかりに抜けおちている。そして手に握っていた筈の鍵も、ない。そもそも私は鍵を再びかけたのか? それとももういいか、と開けっ放しにしたのか? おばさんは本当にいたか? それすら曖昧に。

11月某日

旧い喫茶店にて。ロビーのようにゆったり広くて、緑を基調にした、豆の透けた房か、あるいはミドリムシをモチーフにした風な柄をおおきく描いた絨毯があり、我々は漆黒の革ソファーでお茶を飲む。

そばにあった水槽から、魚らしき何かが跳びはね、絨毯におちる。どこかへ逃げようとする。蝶ネクタイをした中年のウェイターがつかまえ水に戻しても、また跳ねて外に出る。
緑の豆あるいはミドリムシの曲線をうまくなぞる風にくねくねすいすいと泳ぐそれはよく見ると、魚のような長い尾鰭こそついているが、頭と胴体は毛がふさふさして眸のつぶらなイタチのような生物だった。しかも2匹いる。そろって私の膝に、前肢をのせじっと見つめてくる。彼等のほそながい背を撫でる。ついさっきまで水に浸かっていたのに駆けるうちもう弾きとばしたか、さらさらしていた。

11月某日

ペンフレンドから手紙。先月なかったからか、2通きた。

1通め。
「見合いした。着物きてホテルで。
中座して、トイレで長居し煙草を吸った。
話は流れた」

2通め。
「薄手の部屋着シャツ、胸の辺りだけ繊維が荒れている。
私の乳房はあって無いようなもの。
乳首がやわらかなドリルなのか」


©️2020TSURUOMUKAWA

掌篇小説『Z夫人の日記より』<61>

11月某日

姪っ子がね、殺されたの。20年前にね。

おかっぱの、すべて地毛とおぼしき銀髪と、赤のキャットスーツを着こなした女が、ベンチで煙草をふかしながら、昨日駐禁とられたの、ぐらいのムードで喋りだす。女はアート作家で、海辺の美術館で個展をひらいている、そのロビー片隅で他人事みたいに佇む。却って目立ち観客の視線をあつめてはいるが、寄り難い雰囲気なのか誰ひとり声もかけず過ぎてゆく。私は隣に座っていただけの初対面である。

不良の札つけて色々やらかしたりもしたけど、ほんとはいい子で、あたしは可愛がってたわ。
殺されちゃって……ケーサツがあまりに不甲斐ないもんで、あたし自分で捜査したのよ。

女に手招きされて、展示場へとゆく。きれいな指には煙草をはさんだまま。

これはあの娘の部屋。ワルぶってたけど趣味は乙女チックだったのよねぇ。

最初の作品はまさしく、部屋だった。たしかに壁はピンクのストライプで、縫いぐるみやドールがたくさん。木製の家具は丸みをおび色もやさしい。女はどんなものでも融けかかった粘土のように造りあげる作風らしく、椅子も壁も齧りつける砂糖菓子に見える。ありえぬ筈の甘い匂いに誘惑されつつ、今にも崩れおちそうに儚げな有り様が、作家自身とはちがった意味で寄り難く、私は身をこわばらせる。
後には女の姪がバイトしたバー、遊んだディスコ、駅ホーム、付き合った男の家や車などがつづく。手法はまったく変りないのに、色調や明度によってか、それとも作家の感情や意図によるものか、酷く安っぽいジャンクにも見えたかと思えば、ふいに菓子っぽい甘さが消え、奥深いなかで厳かに艶めく鍾乳洞のように映るところもある。
そして、ディスコや駅ですら、人の造形はどこにもなかった。

捜査っていうかさ、あの娘の足跡をこうして造ってくうちに、ヒントが見えてきたの。
容疑者は……あの娘の彼氏をふくめた男3人まで絞れたんだけど、アリバイ崩しが難儀でねぇ。3人とも犯行時刻には、この近くにあるS海岸へ向かってたって……浜でボード抱えたウェットスーツ姿の彼らを見たって証言もあってね。列車だろうとバイクだろうと、殺してからゆくには難しい距離だったの。

海沿いを、気高い山のまわりをゆく線路をかたち造ったジオラマ的な作品がある。1フロアを占めるおおきなものだ。タイトルは『AM6:28』。やはり鉄道車両も海にたつ波も総て歪んだ粘土状で、戯画的なサイズのデフォルメはあったものの、遠近法や夜明け前の蒼みに染まる風情が妙にリアリティーをはらみ、この世界の総てがDNAや形状記憶をうしない蕩けゆく様か、あるいは「あの娘」がジオラマ上のどこかで(どこなのか、女は言わなかった)殺されゆく様が、さっきまでの作品群をもふくめて急激に生々しさがつたえられるかのようで、背が冷える。

そこでよ。当時の私のダンナが旅行会社をしてて、『謎解きツアー』を組んでもらったの。もともと観光地で海は泳げないけど山の色づく季節だし、そこそこ歴史ある町並みもあれば小洒落たレストランもあるから。私はツアーコンダクターの制服をじぶんで誂えて、旗もって、ガイド。これがまたよく似合ったのよぉ。客はミステリー好きな男女があつまったし、容疑者の3人も「やましいこと無いならいらっしゃい」って言ったら全員、乗ってきた。
トリックはね、貨物列車だったの。人が乗る路線も車道も山を迂回するんだけど、地質の適さない山に奇跡的に掘れた旧くて幅のせまいトンネルがあって、単線の貨物だけは、そこを突っ切れた。途中で止まる駅もないから、30分は速くS海岸に着けるわけ。犯人は全速で駆ける列車になかば命懸けで飛び乗って、そして降りたのね……お見事と言いたいけれど、着古したジーンズはよろしくなかったわね。裾の糸が荷台のボルトにからまっていたわ。

ツアーの最後はトンネル見学よ。PM6:28にね。あたしはあの娘の部屋からなくなってたピンクの延長コードを皆のまえで垂らす。3人のうちひとりが、震えあがって逃げ出した……カマかけたのよ。コードはあたしがペンキで塗ったニセモノ。逃げたのは彼氏じゃなくて、横恋慕した友人だった。車道に飛び出してって、車にぶつかったわ。
……えぇ、全身打撲で重傷だったけど死ななかったわ。死なれちゃ困るわよ。あの娘を絞め殺した本物のコードは砂浜に埋めた、って白状させたわ。

最後の展示は、トンネル入り口。左右端に、はじめて、人の姿があった。
……左には、当時の女を模したに相違ない、黒いおかっぱの添乗員。右は、ミイラの如く包帯で身を総て縛られた男だった。首にピンクのコードがぐるぐると巻かれ、糸の垂れたジーンズの裾がチラリと漏れている。ほかと変らぬ粘土細工であるのに、その二人の像だけ……殊に、肉を切らんばかりの包帯の食い込み加減と、女のまなざしの鋭利さは、磨がれた鋼にちかい空気感を放っていた。
トンネルはどこまでも闇がつづくかに見えた。女と私は相当ながい時間見ていた気がする。他の客はやはり距離をおいてとおってゆく。やがて女はさっきよりも濃く煙草のけむりを吐きだし、総てを朧にしはじめた。この場の何よりも確たる、女のキャットスーツに収められた見事なボディや、天秤を鎮めるかの如く左右一寸の狂いもない銀髪、自身の像を鏡に映したかのようなアイラインと眼光さえも。

……6:28ってのはね、あの娘が報せた時刻なの。首を絞められて、身も心もこの世から離れてくって時に、腕時計をじぶんの指で止めたのよ……

「あの娘」の人形を、造ろうと思ったことはあるのだろうか。


©️2020TSURUOMUKAWA

掌篇小説『Z夫人の日記より』<60>

11月某日

音楽事務所の人から聞いた話。

「テレビに出ている売れっ子たちって、堂々として見えますけど、みんなまだ若いでしょう? 特殊な業界での重圧や葛藤で、カウンセリングを必要とする人も沢山います。
で、最近うちの社内で秘密裡に活躍してるカウンセラーがいるんですが、それが、まだ10歳ぐらいの子供らしいんです。眼鏡かけた男の子で。
ミュージシャンたちが集まる会議室で、マジックミラーのしかけてあるところがあって、その子がそこから、見るんです、メンバーを。1分も要らないでしょうか、何ら事情を聞かなくとも彼は、メンバーの誰がどんな悩みを抱えているか見抜く。……いえ、彼は事務所とも業界ともまったく無関係、流行にも疎いそうですが、マスコミに伏せられた事件……彼が幼稚園児にも満たない頃の話とか、マネージャーさえ把握していないバンド内の確執なんかもあっさり読みとって、ちいさな唇からつらつらと話すんだそうです。で、誰が自分を必要としているかをえらぶ。そうです、彼が患者をえらぶんです。
呼ばれたメンバーは彼と別室で二人きりになって話します。むろん、いきなり子供と向きあわされて、最初は不審としか思えないでしょうね。何の悪戯かと怒りだす人も……しかし、小一時間ほどしてドアから出てきた誰もが、涙を溢していたり、先刻よりも表情がやわらかくなっていたといいます。
こないだは、私もプロモーションに関わっているバンドの女の子がカウンセリングを受けて……彼女……まぁ内容は言えませんが、引退を考えたほどの悩みが快方に向かっているようです。
男の子が患者をえらぶのは、適性だけではなくて、己の存在を知られても問題ない相手か、というのを見定める意味もあると思います。彼は本名を明かしていません。彼の家族さえこの仕事を知らないのでは、とも噂されてます。もしも世間に知られるような事になれば、彼はあっさり身をひいて只の小学生にもどるでしょう。それは患者たちだって事務所だって困る……」

大人たちさえもてあます事情をひとりの小学生がうけとめていて、彼自身は大丈夫なのだろうか。

「私は会ったことないので、わかりませんが……ただ、マジックミラーの部屋で彼のそばにいた社員が一言、『あの子は、楽しんでる』とだけ」

11月某日

ペンフレンドから手紙。先月なかったからか、2通きた。

1通め。
「見合いした。着物きてホテルで。
中座して、トイレで長居し煙草を吸った。
話は流れた」

2通め。
「薄手の部屋着シャツ、胸の辺りだけ繊維が荒れている。
私の乳房はあって無いようなもの。
乳首がやわらかなドリルなのか」


©️2020TSURUOMUKAWA