武川蔓緒(つる緒)の頁

みじかい小説を書きます。音楽や映画の感想つぶやきます。たまに唄います。成分の80%は昭和です。

私的すたんだーどなんばー<捌>ジェーン・バーキン『ロスト・ソング』(昭62)

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<女優・モデルでの活躍と同等か、ひょっとすると日本ではそれ以上に歌手として名を馳せた稀有な存在。セルジュ・ゲンスブールと組んだ6枚目のアルバム>

小林麻美よりも早瀬優香子よりも、バーキンを知ったのは後だった。
高3のとき、某アーティストインタビューの「この曲はバーキンみたいに歌いたかった」という言葉だけをたよりにレコード店へ行き、声さえ知らず、買った。結果もちろん一耳惚れ。
あのきっかけを逃していたら、ウィスパーのミューズをもしや今も知らずにいたか?

歌声って物質なんだ、ということをいちばん教えてくれた歌手だと思う。誰一人としておなじ楽器(喉)は持っていない上に、各々のバックボーンや新たな出会いでケミストリーが起こる、そういうものだと。
バーキンを語る上でたいていの人は「歌唱力は……」と付け加えるが、私は「こんな巧い歌手はいない」と、今でも思っている。まぁ正確に言えば、「こんな素晴しい物質はない」だけれども。'68年ゲンスブールに見出だされて以降、半世紀過ぎた今なお、単に懐メロ歌手としてだけでなく求められてやまぬ、物質。

はじめに聴いたのはベスト盤だったが、敢えて選びたいのがこのアルバム。
バーキンはさておきゲンスブールの楽曲って、「フランス70'sの輝き若しくは燻り」みたいなイメージを抱きがちだが、実際はセルジュが亡くなる前年('90)までバーキンとのタッグは続き新作リリースもあったわけで。『ロスト・ソング』も'87年、曲こそシャンソンか小唄チックな短い小節によるコーラスを呪文の如く呟きつづける手法はそのままだが、アレンジでエレキギターかき鳴らしてロックしたり、キーボード主体でアーバンなAORしたりもちゃんと(?)やっている。
バーキンもまたジャケ写のビジュアル(どれもバストアップだが)において、1作目から年代順に並べたら半ば別人みたいにムードを変えているし(本作と『バビロンの妖精』はまさに「ザ・80's」って顔してる)……今となっては世界の名画も同然の普遍性を薫らすあの二人も、目まぐるしく移行する時代を、手を取り合い、ニコニコかフラフラかハラハラかオロオロかわからないけれど、渡っていたのだと気づく。

私的にはこのアルバムあたりの、ちょっと賑やか過ぎる感じが却って、バーキンの囁き或いは喘ぎの闇夜めいた芳香を、呪文の効果を高めているようで、好きなのである(ただ、ライヴだとしっとりしたアコースティックがやはり似合うかな、とは思う)。


©️2020TSURUOMUKAWA

私的すたんだーどなんばー<漆>『魅惑のムード☆秘宝館』

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<昭和40年代を中心にセレクトされたお色気歌謡曲のコンピ。著名な辺見マリ『経験』奥村チヨ『恋泥棒』なんかも入っているが、それ以外はほぼ知られざるラグジュアリーな、或いはインモラル、裏街道的な世界観がフェロモンたっぷりに展開される>

私の邦楽の趣味は80年代からスタートして、そこからいきなりSP盤(50年代以前)に飛び……そのはざまである60~70年代あたりに親しむのはかなり遅かった。聴いてはいたが格段に好きな歌手も見出だしておらず、何が魅力かも掴めずいた。

そこに友人が聴かせてくれたのがこのオムニバス。

あぁそうか、「色気」なんだ、と、あっさり腑におちた。

専業作詞家による、俗っぽさと文学性をおびた言葉。恋に生きるの死ぬのと喘ぐ歌声および楽器……シリアスなようでどこか冗談めいて、Mっぽく見えて猛々しさがあり、下卑ているようで潔く美しい……
ある種往年の芸妓のような婀娜っぽさが、この時代のエッセンスなんだと、マニア向けである筈の盤から、私個人は得心した。

この盤には叩きあげた正統派シンガーから、女優、グラビアモデル、ニューハーフまで登場するが、「ある種芸妓」であるからして、みんな媚態を見せていながらも、寧ろそれは威嚇にも近いニュアンスで、生半可な男などおいそれと寄せず、たぶん同性をも圧倒し、結構カッコいい?とまで思わせるオーラを纏っている。

音楽とビジュアルにあまり乖離がないのも、この時代ならでは。エロ路線だとよりコンセプチュアルになって、尚且つコスプレとかに流れずファッションとして成立しているのも興味深い。
ただこの盤のジャケットは何故か現代(たぶん)のイラストレーション(インナーには各楽曲のジャケ写あり)。ちょっとイメージと違うので、あい杏里『恋が喰べたいわ』の肉食獣ジャケ写を載せておく。


©️2020TSURUOMUKAWA

私的すたんだーどなんばー<陸>淡谷のり子『私の好きな歌』(昭26~34)

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SP盤の魅力に取り憑かれるきっかけをくれたのはこの御方。

鈴木清順監督による映画『夢二』のエンディングで流れていた『宵待草』が出会い(あの音源は未だ手に入れてないのだけど、いつ頃歌ったものだったのかな?)。
以後、NHKの『ラジオ深夜便』等で流れていた本人特集や服部良一特集だとかを追いかけ、MD(!)に録音する日々が始まった。思えばあれは本人が亡くなってまだ間も無い頃だった。

日本最初のシャンソン歌手で、声楽の素養を活かした歌唱法は華がありつつも、表現過多にならず寧ろ抑制が絶妙にきいており、和的なワビサビ、水墨画のような美さえ感じさせる。反して衣裳はゴージャスだったけれど、「歌手にとって戦闘服」という美学に基づくがゆえだろうか猥雑とはならず、不思議なバランスが取れていたと思う。
最初でありながら、今後も決して現れないタイプなのだろう。

戦前からCDの時代に到るまで60年以上、レコード会社を放浪しつつ活躍しつづけたわけだが、幸運なことに殆どの会社での歌唱がデジタル化されており、現在では中古もふくめれば大概入手できる。

そんな中で取りあげたいのが、50年代に所属したビクターの音源3枚組。
1枚目が和製のオリジナル曲で、2~3枚目がシャンソン・ラテン・ポピュラー等の舶来物。
「和製」をあまり好んでいなかったらしい本人としては、想像だけど、シャンソンの隆盛もあり続々リリース出来喜ばしい時代だったのではないか。年齢的にも声に張りとえもいわれぬ淑やかさがあり、ビクターオーケストラの音色も美しい。アコーディオンアンドレ・レジャンら少数精鋭による粋なプレイもあり。

ブックレットの解説も丁寧で、写真も豊富。
2枚目の写真は、浅草のマルベル堂へ行った時に買ったプロマイド。


©️2020TSURUOMUKAWA

私的すたんだーどなんばー<伍>アントニオ・カルロス・ジョビン『ジョビン・ソングブック』

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<ボサノバの生みの親、ジョビンの没後すぐ('95)に出たオムニバス。
本人やジョアン、アストラッド等ボサノバ御本家のメンツに留まらず、ジャズミュージシャンやボーカリストによるプレイも多数収録>

ジャズの人々がボサノバを、一時の流行や気まぐれの蜜月でなく本気で演り、今でもスタンダード集にイパネマ等載るほどの切り離せない関係となってしまったのって、よくよく考えると実に不思議なムーブメントだったと思う。
1曲1曲が短く、まるで物語や和歌のエッジーな切れ端かその行間のような本家に対し、メロとコードの出汁を骨も融けるまで煮込みきる、老舗の如きジャズ奏法……ある種両極のアプローチなのに。
今改めて聴いてみても、「ボサでは物足りなく、ジャズではやり過ぎ」って印象にならないし、
異ジャンル交流も不和が起きないどころか、寧ろどこかしら血の繋がりすら覚えるのは、一体どういう魔法なのだろう。

私がどちらのジャンルも即座に入り込め愛せたのは、耳が鈍感なくせに前述のような理屈をうだうだこねたりせず、ただ好きか嫌いかだけで聴くある種純真な初心者だった当時に、この盤の選曲がとても良かったからではないか。出会う順序がちがっていたら、異なる今があったのかもしれない。

私的に一番は、ストリングスをしたがえたオスカー・ピーターソンによる"WAVE"かな。もはやブラジルでもアメリカでもない夢の国の、一日中でも聴いていられる波の音。
サラ・ヴォーンとの出会いはここでの『コルコヴァード』だった。これ見よがしな歌いっぷりはちょっと苦手……と始めは思ったけれど、曲が終る頃には大好きになっていた。

ジャケットイラストはすっかり忘れていたが、なかなか的を射たデザイン。


©️2020TSURUOMUKAWA

私的すたんだーどなんばー<肆>斉藤由貴『風夢』(昭62)

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<デビュー3年目4枚目のアルバム。
ドラマ映画、CMにも引っ張りだこだったこの時期、曲も数多く流れていたものだ。『砂の城』はカセットテープAXIA、"ONE"はカルピス(ウォーターではない)、『街角のスナップ』はNECパソコン(むろんインターネット以前。何に使っていたのか)……
"MAY"は主演映画『恋する女たち』主題歌だった>

思えば作詞作曲編曲等のクリエイターを、アイドルや役者シンガーを通じて実に数多く教わった。かの谷山浩子武部聡志崎谷健次郎との出会いもここで。

とは言え、斉藤由貴プロジェクトはその類に於いてだいぶ異質だったと思う。プロデューサー長岡和弘らの話によれば……「始めから男性客をターゲットに据えていなかった」「基本、チーム的にメンバーを固定しアルバム作りをした」「斉藤当人にも早くから詞を書かせた」「会社に内緒で企画を通したことも多々」……
長岡はディレクションも独特で、斉藤にもミュージシャンに対しても、さながら役者への演技指示のようだったという。

そして斉藤はその目論見以上に応える女優でありアーティストであった。楽曲が牧歌風からエレガンス、荘厳さを湛えたものまで実にバリエーション豊かだった中、自作詞はどんな設定でも他と何ら違和感なく肩を並べていたし、女優としての情感とテクニックで総てを歌いわけることもした。ある意味映画以上に映画的……

それにしても、前述の矢野顕子とほぼ同じ時期に、あったのが不思議だ。大海を隔てたふたつの国を交互に旅していたような贅沢。
両者お国柄は違えど(まさか被ってるメンバーは一人もいないよね?)、あれほどのメジャーシーンにいながら所謂「流行歌」の匂いがしないところは共通している。

当時はカセットで購入。CDとは曲順が異なり未収録の曲もあったけれど、今でもこっちの並びが好き(再発盤はすべてアナログの曲順で収められているそう)。
アルバムジャケ写もコレが一番かな。撮影は斉藤清貴


©️2020TSURUOMUKAWA

私的すたんだーどなんばー<参>矢野顕子"HOME MUSIC Ⅱ"(昭55~62)

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<80年代、つまり坂本龍一との共同プロデュース期(ほんとに'80~'89年だったみたい)のベスト盤。ラインナップはおなじみ『春咲小紅』や『ひとつだけ』の他、佐野元春とのデュエット『自転車でおいで』、アルバム未収録のシングル『愛がたりない』等々>

矢野顕子を初めてちゃんと聴いたのはこれか『峠のわが家』だった。

中学生の私にとって矢野さんは、壮大でシュールで、且つ不思議な親近感や痛切さを覚える、ファンタジー御伽草子であった。他のどんな本や映画等よりも濃密に、しかし尻尾か耳でも揺らす風に飄々と、息づいていた。
それは、これより以前の矢野誠プロデュース時代も、以後の完全セルフでも芯はそう大きく変わらないのだけど、この時期の、冷徹な構築と衝動的な?破壊で世界を拓く教授と、朗らかでたおやかで、しかし牙をむき哭き震える野性を失わぬ矢野さんによる音色・感触は唯一無二で、私にはたぶん今後もずっと、初恋にも似た想いを寄せる異界、かたちのない故郷、タイトル通りホームなのだろう。

にしてもこの盤、誰による選曲か知らぬが比較的初心者でも取っつき易くまとめられていると思う。ベストに起こりがちな作風のバラつきもあるにはあるけど、それが却ってドラマチックな印象を与えているし、音のテクノ要素とアコースティック要素、トンガった曲と円みある曲とのバランスも程好いのでないか。これがダメという人は、他のどれ聴いてもダメ、かも?

あと、然り気無く泣かせにかかったラインナップだな、とも思う。少なくとも私は、今でも充分涙する。

矢野さんのこの時期のビジュアルも、すこぶる好きである。シックで、色っぽい。
"Watching You"のPVとか、オススメ。


©️2020TSURUOMUKAWA

私的すたんだーどなんばー<弐>松任谷由実"VOYAGER"(昭58)

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<15枚目のオリジナルアルバム。ユーミンは始めからベテランだったように思ってしまうけれど、この時はまだ20代だった。原田知世に提供した『時をかける少女』『ダンデライオン』も収録>

1曲目『ガールフレンズ』の時点で、完全に虜に。
何このイントロ、声、メロ、転調……と、いちいち目を丸くした、あの日は忘れ難い。

今でも疑問に思う。これほどエッジの研がれた人物がどうして、長きにわたり国民的アーティストなのだろうかと(むろん、悪い意味ではなく)。

さておき、このアルバムに触れたのは小学校最後の夏休みだったか、祖父母の家に於いて。旧い日本家屋なのだが、増築された洋室が2階にあり其処で、聴いた。
今思えばあの部屋は60年代後半あたりのテイスト? 絨毯は緑で、クローゼット、棚、ステレオ、レコードプレイヤー、洗面所(個室に洗面所があるのを初めて見たし、以後も見てない)は総て艶めく黒。室内はリビングとベッドルームで分割されていたが、分けるのは壁でも布でもなく、螺鈿のようなキラキラしたちいさな長方形の板を繋ぎあわせた、キャバレーの幕にでも使われそうな長い永いカーテンで……基本的にそこは遠方の叔父一家の泊まる部屋だったが、彼等が帰った後に独りきりで泊まったりもして、ユーミンの音楽と共にラグジュアリーな時間を、子供の分際で過ごしていたわけである。

もう、家はとっくの昔に取り壊されてしまったのだけれど、"TYPHOON"の歌詞などに登場する部屋は、私にとって永久に、あそこなのだ(ちなみに、『時をかける少女』に嵌まりそうな庭もあった)。

そんなこともあってか、私はこの盤を愛しながらも、一度も手元に所有したことがない。


©️2020TSURUOMUKAWA