武川蔓緒(つる緒)の頁

みじかい小説を書きます。音楽や映画の感想つぶやきます。たまに唄います。成分の80%は昭和です。

アルベルト田中"FANTASIA"(平26)

シャンソン、クラシック、更にはロック…と、幅広いジャンルで国内外問わずライヴやレコーディングに参加、更には演奏でなく役者として朗読劇もされているという多才で謎めいたピアニスト、アルベルト田中氏'14年リリースのリーダーアルバム。

何がいちばん謎めいてるって、現役選手でありながら当人サイドからの情報発信がほぼ皆無なところで(笑)。現在シャンソンライヴでの伴奏が直のパフォーマンスに触れるには最も近道かと(ユーチューブにも幾つか置かれている様子)。

ときにシャンソンのライヴというのは、ホール等で行われるものは兎も角バーやサロンでは基本的に「歌手+ピアノ」という少数編成が多い。一人ミュージカル、または静かなモノローグか独白のようでもある歌手の感情の満ち引きに寄り添うには、ピアノは本当に素晴しきパートナーたる楽器と思う。縁の下の力持ちでありつつ、激情からひとひらの機微に迄対応が出来る。勿論そんなある種多重人格のようなプレイをするのは並大抵の事ではない。アルベルト氏のピアノにもまた、歌い手を海原に泳がせるかのような壮大さと、人知れぬ涙にも呼応する繊細さとがある。どんなズームも望遠も自在に操り美麗に撮る辣腕のカメラマンみたいに。

さてそんなアルベルト氏のリーダーアルバム。こちらは対照的にストリングスを始めとするクラシカルなメンバーにギター・ベース・パーカッションを加えた計14人編成。
選曲はクラシックからミュージカル、映画音楽やテレビの歌迄。やはりヨーロッパが多めではあるがアメリカや、我らがジャパン『難破船』もあり。ムードにおいても映画『小さな恋のメロディ』挿入歌『若葉のころ』があると思えば『怪僧ラスプーチン』なる、実在したロシア帝国時代の人物をモチーフとした70年代ディスコナンバー…などという面妖なものもあり、興味をそそる錯綜ぶり。どうまとめるのか? 予測のつかぬままに聴いた。

……真摯。素直。豊潤。清楚。

ちょっぴり意外な言葉もまざる鑑賞後の率直な感想。選曲のごった煮を感じさせない、喫茶店で小さくかけていても空気を乱すことは無かろう滑らかな流れ。一歩間違えばJポップを無理矢理インストにした有線みたいになりそうな崖っ淵で、演奏の肉厚ぶりと、聴き手を不安に陥れない優しい両腕の感触とを終始貫いている。
そう、面白いのは悲しいテーマの演目においてでも、絶望や情念といった負の感情をある一定値以上に湧かせないところだ(『難破船』についてライナーで「ちょっとダーク過ぎるアレンジに」と書かれているがいやいや明菜オリジナルの方が十倍悲痛ですから)。
すべての曲に例外なくあるのはどんな時に聴いても秋のような実りの豊かさと、程好い切なさ。

シャンソンというジャンルを改めて考えてみると、悲劇音楽の代表格みたいに捉えられがちだが、少なくとも曲に関してはコード進行やメロが存外に純朴でこざっぱりしたものが多い。パリの民衆の自然な服の着こなしと似た風情で。
アルベルト氏の姿勢もそこに近いのではないだろうか。纏うのは悲劇そのものではなく飽くまでショーとしての悲劇(とか喜劇とか)で、素材(即ち14人の楽団)本来の質の良さを最優先させ、無闇に尖らず軽薄にもならず、大衆に媚びず寧ろ大衆と楽しみを「こんなのどう?」と分かち合う感じ。
折角リーダーなのだからもっと「俺だ!」とばかりに扮装ばりに化けるなりピアノの弦がブチ切れるほど悪ふざけしたって…と私のようなタイプは思うが、ここでもシャンソンライヴでの歌手とのパートナーシップ同様か、あるいは更に二歩三歩さがったところで13人のメンバーに寄り添い、溶け込む。
そのブレの無さはそのまま本人の御人柄に繋がると思う。泰然自若。声高に己をアピールせずとも人は彼を信頼し集い、スケジュール帳を埋めてゆくのである。

…とは言うものの。彼にはまだあと数枚リーダー盤があるそうなので、油断はならない。謎は続く。


©️2019TSURUOMUKAWA