武川蔓緒(つる緒)の頁

みじかい小説を書きます。音楽や映画の感想つぶやきます。たまに唄います。成分の80%は昭和です。

澁澤メルモ『ト~ルコライス』(平28)『アンニュイとメランコリー』(平29)

f:id:mukawatsuruo:20190909182353j:plainそれぞれ5曲入りのミニアルバム。
作詞作曲、および音のすべて御本人!
ボーカル、そしてコンサーティーナ(バンドネオンを小型にした感じの蛇腹楽器)、他にフルート、オルガン、ギター……パーカッション類とか、海のざざざーって音まで。ほぼアンプラグド、素に近い響き。多めの余白で、緊張と弛緩の釣り合いが良い。

最初にライヴを拝見した頃はジャズや昭和歌謡をそれこそアンニュイに唄う折れそうに華奢なひと(楽器なし)という印象……だったが、それから間隔あけてお会いする毎、あ、オリジナルするの? え、フランス語堪能? わ、なんですかその楽器? ……と、見た目こそ全く変わられないながら、インナーマッスルが見る見るマッチョにバージョンアップをされてゆき……いや、違うか。元来持っていらした腕或いは爪を、「何時如何に公で披露するか?」とタイミングを自らのディレクションで探られていただけの事なのだろう。

前述のとおり仏語での作詞もなさり、バーキンカヒミ・カリィもお好きとのこと、ビジュアルからもダーク・ファンタジーな薫りがするとくれば、アルバムはさぞ濃厚なフレンチか、と、思う、が……

"La Violette Est Bleue"や『螺旋のタンゴ』等はまさに鉄板、デカダンでコケティッシュで繊細でちょっと悪魔な、煙のように自然でいて装飾的なフレンチ(タンゴはフランスじゃないけども)だが、
そっちのフレーバーは割合として少数だと思う。見当違い甚だしいかもしれないけど、どちらかと言えば、マニッシュ、または性未分化の存在に感じられる曲が多かった。「僕」の一人称は一切使っていないのに、彼女の描く不安や焦燥、我が儘やひたむきさ、陽光と陰影は……たとえば少年になった『アリス』や『ザジ』、もしくはそれより更にイノセントなキャラクターに映った(BL的な世界観も嵌まるような……とまで言ったら叱られるか)。演奏ぜんぶ一人でこなす、って工房に籠りきりの職人さながらの気質も、男性ぽいイメージを想起させるのかもしれない。唄声も意外と芯があるし。
初めて聴いた時は正直少しピンとこない部分もあったが、2回目以降は誰でもない彼女が掘りあてた個性が、なめらかに耳を流れている。

いま公式サイトのプロフィールには「職業・蛇腹使い」と書かれている。たしかに1stより2ndの方がコンサーティーナの比重は大きくなっており興味深いが……まさかそのうち人魚姫よろしく唄声までもコンサちゃんに捧げちゃったりとか、しないでしょうね?……ともあれ今後も彼女のバージョンアップにどきどきさせて戴く。

澁澤さんのサイト。試聴も出来るみたい。
https://kuronekomelmo.wixsite.com/melmo


©️2019TSURUOMUKAWA

Otussy『大きいほう』(平27)

f:id:mukawatsuruo:20190909153707j:plainオツージーさん初のフルアルバム。
作詞作曲は御本人、アレンジおよびミックスはDr.HB氏。

カッコいい!

30年の歴史に幕を閉じた平成ポップスのカッコいいところを濃縮還元して、カッコ悪いとこすらもチャームにしてしまう底深さ。
これ一枚あったら、他の平成アルバムは9割方聴かなくたっていい気さえする。

本領はR&Bであろう。重たくなく手触り優しい音作り。楽器と打ち込みも絶妙に融け合い……私的には『さよならは夕暮れに』『夜が明けるまで』のトリッキーな音とコード進行に泣かされる。打ち込みの比重高い『丘を越えて』も好き(ところでトランペットとドラムはクレジットに無いけど打ち込みなんですか?)。
他にもジャンル多彩に、ボサ、レゲエ、カントリー……昭和パロディなブギ、GSもあり。

ボーカルは、ライヴでも聴かせて戴いたが、そこに居るにも拘わらず現実でないみたいに思える声。たとえるならシリーズ化された映画やテレビドラマのオーラ溢れる主人公を、いきなり目前で見るような感じ。面喰らった。いまCDで聴いてもやはり面喰らう。
他者の名を挙げるのは失礼かもしれないが……桜井和寿の粘り気を伴ったハスキーさ、星野源のこざっぱり感、藤井隆の生真面目な遊び心、池田聡ユニセックスな色気……等々といった要素がオツージー氏一人のなかに入っている気がする(ただ彼は低めのレンジも結構効かせるのだけど、そこは平成アーティストにあまり見られない魅力かもしれない)。自作とは言え方向性のバラつく楽曲群も、キャラクターとアレンジの力量で纏めあげてしまう。

で、歌詞(笑)。帯にあるように、ギリギリアウト?な下半身寄りのネタをソフィスティケイトされた楽曲で歌いあげるのがこの方の醍醐味とされている……筈だが、全11曲中、外で口ずさんだらヤバそうなのは意外にも3曲だけで、ちょっと残念な気がするようなしないような(笑)。ユーモラスとシリアスで分けても丁度半々といったところ。歌詞や曲順を一切見ないで、次に何を歌い出すか、多面性を楽しみながら聴くのも面白い。

にしてもそのあたり、詞曲との向き合い方はどのようなものなのか、チャンスがあれば伺ってみたいところ。

オツージーさんHPより購入サイトへ行けるようです。
http://otussy.com


©️2019TSURUOMUKAWA

chailulu"segno"(平28)

f:id:mukawatsuruo:20190909151038j:plainボーカル・ギター=結美
サックス=長谷川和彦
フルート=森本優子
トロンボーン=五島健
ピアノ=樋上千聡
ベース=李庸恩
パーカッション=西村コージ
ギター=カオリーニョ藤原(ゲスト)

ボサノババンド・チャイルルの1st。ジョビンのスタンダードの他、日本の楽曲も。

ボーカルの結美さんは随分と前から知っている。出会った頃は佇まいもふくめまるで声変わりしていないおとなしい少年のようで……しかし独自の感性は、もう既に針の方向をしっかりと定めていた。
それから何年か会わぬ間に彼女はボサの本場ブラジルに赴き音楽や言語をふくめた空気に触れる等々を経て……久々観に行ったライヴでは一層芯を逞しくし且つ柔らかさを湛えた、だいぶ歳上の筈の自分よりはるかにスピリットが成熟した女性になられたように見え(いや実際そうだろう)驚いたものだ。

今回の録音では唄のエフェクトが、通常の紗をかける役割というよりは逆に、まるで灼熱の陽に照らすかのように声のハスキーさや鋭さを前面に出していることも相乗効果となったのか、最早かのナラ・レオンと肩を並べる貫禄と厚みを感じ圧倒された(まぁナラも『美しきボサノヴァのミューズ』を出した当時あれでまだ30手前だったのだけど)。

さて演奏はと言えば、ナラ『美しき~』のすきま風ふく哀愁やクールネスとは違い、ジョビンファミリーみたいな包容力と温かさを主軸にしている。殊にやっぱりジョビンの楽曲においては癒しを得ると言うより、種々の花が咲く生垣やマジョリカタイル壁で造られた大規模な迷路で青空を浴びながら迷わされるかのような、アトラクション的愉しさを覚える。"Frevo de orfeu"の躍動感が特に好き。楽器のアドリブをもっと長い時間聴いていたかった。

そうかと思えば一方で、石原裕次郎『夜霧よ今夜も有難う』や、荒木一郎×武満徹の『めぐり逢い』では、メロディだけでなくコード進行も比較的素朴に、しっとりした昭和日本'70sあたりの空気感を体現してたりするのが興味深い。そこに結美さんの日本語ボーカルはやはりエトランゼに映るものの不思議と浮くことはなく、却って巷に溢れる歌い方よりも、泣かせてくれるのですこれが。

聴くタイミングによって、ハイライトと感じる曲が変わるアルバムかもしれない。心を躍らせたいとき、サウダージに浸りたいとき……いずれにも応えてくれる。

結美さんのライヴにおいて、
https://balancoyuu.exblog.jp
または発売元のおーらいレコードに問い合わせれば購入可能かと。
https://ohrairecords.wixsite.com/home


©️2019TSURUOMUKAWA

音・人・旅"Glocal Happiness Departure"(平28)

f:id:mukawatsuruo:20190909125645j:plainギタリスト荻野やすよしさん全作曲・プロデュースによる「音・人・旅(おとなたび、と読む)」のアルバム。
インストは歌よりモノを言う、かもしれない。

私事だが、外出先、近場をうろつくにも旅行するにも、決して音楽プレイヤーは持参しない。そこでの景色と楽曲とがマッチするしないに拘わらず一度でも重なり刻まれてしまうと、これがそうそう剥がれてはくれないからだ。
音楽は形あるような無いようなイメージ、視覚というより脳内であらわれるきれいな或いは穢れた色の粒やグラデーション、またはぐちゃぐちゃに使い込んだパレット並の混沌であってくれた方が良い気がする。おなじ曲でも聴くタイミングによって異なるものが浮んだって構わない。

さてこの盤は存在からまさしく絵の具がいっぱいと言おうか、なかなかの大所帯。ギターとベース(アコとエレキ両方)に加えウード(アラブ音楽系の弦楽器)、ドラムの他にダラブッカ(アラブ、トルコ音楽系)とアフリカンパーカッション、サックス(ソプラノ・テナー)とトランペット、チェロにヴィオラにヴァイオリン……ステージで呼び集めるのもなかなか困難であろう面々が、贅沢に(曲により編成は異なる)。

ムードを比較的一貫させた聴き易いナンバーも勿論、豊潤で素晴しいのだけれど、個人的には時間も長く構成も奇っ怪で、楽器が交替でソロパートをとるたびにテイストが変わるかのような、意図的なヘルタースケルター、パレットの混沌を見せた曲が特に大好き。"S16"とか『果て。』とか『地球人が宇宙人に見つかった日』とか(タイトルから既に良いでしょう?)。ボーカル的な役割を担うヴァイオリン属や管楽器の歌うと言うより長台詞をあらゆる階調で喋り尽くす役者たちみたいな有り様が堪らない。
対して荻野さんのギターは意外と冷静に全体を俯瞰したり支える(カントクのような?)様子であるのもまた興味深い。

そう言えば曲毎に荻野さんによる短いエッセイも付いているのだが。聴き手にイメージを強要せず想いの総てを明かしもせず、実にうまい距離感、且つ中身の熟した内容。曲を聴きながらでも、まったく無関係に読んでも楽しめる(アートデザインも同様に素敵)。

今すぐに聴きなおすも良し、または時を経てから、最初とはきっと違う色を見せてもらうのも良し。歌よりモノを言う盤である。

'19年9月現在アマゾンで購入出来ます(検索は「荻野やすよし」でした方が速いかと)。


©️2019TSURUOMUKAWA

MooN Voices"MooN Voices"(平30)

f:id:mukawatsuruo:20190909125023j:plainジャズボーカリストのMEGU AdawasさんとNaokoさんによるデュオ。ピアノは高岡正人氏。
こちらも、ライヴ鑑賞したのちにアルバムを聴いた。

インディーズもしくは完全なる自主製作盤というのはたいてい、アーティスト当人達の求める音楽性とか意志が最も色濃く反映されたものなのだと思う。ライヴの現場だとその場に求められる雰囲気や客層や制限時間に応じて選曲するだとか、色々あるでしょうし。

MooN Voicesもまたそのタイプだったようだ。ライヴではお二人の軽妙なMCや華やかな衣裳替え、曲もユーモラスなネタ(たとえばあの人のセンチメンタルジャーニーとアノ人のセンチメンタルジャーニーをまぜて歌うだとか)を持ち込む等、サービス精神溢れる温かい御人柄ゆえに、ちょっとこちらが見過ごしてしまっていた(もしくは本人達が照れて隠していた?)部分があったと思う。

実際聴いたアルバムは、想像よりもハードボイルドな風情であった。
まるでザ・ピーナッツのように(例えが昭和でごめんなさい)緻密に合わせながらも平べったくならず歌心溢れるハーモニー、かなりテイクを重ね練られたという複雑なアレンジ、そしてデュオの名と青いジャケットのムードに違わぬ、月の如く一歩ひいたところに佇む淑やかさとちょっとビターな哀しみを帯びた全体像を、遅れ馳せながらしみじみ味わう。

あと、当然だがピーナッツじゃないから各々個性が、ブルージーでパンチあるMEGUさんとシルキーで澄んだファルセットのNaokoさんとではまったく異なる筈なのに、芯のどこか、恐らくテクニックだけでないところで声の響きが、本当の意味で調和しているのを感じた時にはゾクッとさせられた。

私的には前半のスタンダード4曲が特に魅力の光っている印象。どちらかと言えば軽快な曲が多いのになんでか切ない。
ラスト『朧月夜』の高岡氏による移調アレンジもとても艶っぽくて好き。

誤解を招く表現をしたかもしれないが、「MooN Voicesはライヴよりレコーディングが本質」と言っているのではない。ライヴはお客さんと直に向き合い、レコーディングは逆にアーティスト自身と対峙する側面が濃い、というだけのこと。むろん人により程度の差はあり、どちらが自然体に近く、どちらが構築されたキャラクターなのか、なんていうのも簡単に判断し難い(自分と向き合うから本質、とも限らない。観客と触れ合う方が鏡になる場合もある)し、自他ともに納得さえしていればそんな事は寧ろどうだっていい。
ただ言えるのは、MooN Voicesは太陽みたいな朗らかさも、月のような淑やかさも、エンターテイメントに対し真摯な姿勢であるのに変りはないということだ。
特にライヴではそんな彼女達のふたつの表情いずれも拝めるので、赴く際にはどちらも逃さず、眼のフィルムに焼きつけたいと思う。

アマゾンで購入出来ます('19年9月現在)。


©️2019TSURUOMUKAWA

シオン"Afternoon nap"(平30)

f:id:mukawatsuruo:20190909124608j:plain関西拠点にジャズ・ボサノバ・オリジナル曲で御活躍のボーカリスト、シオンさん初のアルバム。スタンダード6曲をピアノの石川武司さんがアレンジ。ギター上川保さん、チェロ成川昭代さん。

ライヴに幾度か行かせて戴いているが、こうして音のみで触れてみると、シオンさんらしいストイックさがより一層凝縮されているように感じる。
リー・ワイリーのような折目正しさと品格、ブロッサム・ディアリーのような包容力と愛らしさ、ボサノバ歌手のような力の抜け具合と哀感……似てる・真似ているいう意味ではなくて、各種のスピリットが彼女ひとりの中に、詰めこみすぎず、と言うか寧ろ身軽に、ある。

主にジャズ響く空間にいてテクニカルでアドリブが日常のミュージシャン達と組みつづけていると、特にそういうポリシーなくとも歌唱法をこねくり回したり、音域を必要以上に広げてみたくなったりだとかいう誘惑に駆られないものかな?と思うけれど(例に挙げるほどの立場でないが私はそういうの多少、あった)、シオンさんのスタンスは動かない、どころか逆にぎりぎりまで削ぎ落としてゆく印象。それでいて魅力が少しも損なわれぬ、もはや「歌」という言葉の括りでさえ野暮に思える姿は、さながら尼僧の祈りの如くあまりにも無欲で凛としていて、まぶしい。

共演はきっとピアノのみと勝手に思っていたのでワリと多めな編成には驚いたが、此方もまた無駄な音ひとつ感じさせない。それはボーカルと同様かひょっとしたらもっとシビアで、華美に塗りたくらず数えられる程度の描線だけで表現する難易度の高さが求められるのではないか。
特にチェロという「人の声に近い」とよく言われる楽器、ボーカルと絡めばデュエットに近い状態になり、悪い意味で相殺が起きる可能性もある中、さながら空とそれを映す湖面のような絶妙なバランスでまとめられている。

"Afternoon nap"、「午後のまどろみ」というタイトルだが、聴く前より目が冴えてしまった。

統一性を意識してかオリジナル曲を録音しなかったのは勿体無い……と思っていたら、纏めた盤を今年リリースなさったそう。
('19年9月現在"Afternoon nap"はアマゾンで購入出来ます)。


©️2019TSURUOMUKAWA

青木美香子『りぼんとなかよし』(平29)

f:id:mukawatsuruo:20190909115346j:plain関西を中心に御活躍のボーカリスト青木美香子さんのアニソンカバー(一部洋楽、オリジナル曲含む)アルバム。

かつて前川陽子堀江美都子大杉久美子といった歌姫がアニメの幕開けや幕引きを時には本編以上にメロウに輝かしく彩った時代がございました……と過去形で括るのもナンだが実際もう昭和の終り頃にはアイドルやアーティストに役割はほぼ替えられてしまっていた訳で。青木さんのボーカルは華やかなる諸先輩方を踏襲、リスペクトしながら、しかし縛られることなく「今」のハリとツヤをあらわしている。

さて一方でバックを務めるは、ジャズユニット(Cornus Kousa)+チンドン屋(ちんどん通信社)+二胡奏者(小林寛明氏)……と、アコースティック主体でありつつちょっと異色な顔ぶれ。

アレンジはピアノの上村美智子さんとベースの中村仁美さんとで分けあっているのだが。元より懐かしきアニソンに造詣の深いウエムラさんは原典を骨までしゃぶり尽くす勢いの楽しみ方で、『妖怪にご用心』(ドロロンえん魔くん)なんて原曲は存外ライトなフォーク歌謡であるのをスピード半分に落としねっとりブルージーに、歌詞の妖怪濃度を10倍ぐらいまで上げているし、ヴァイオリンでなく二胡により情念を一滴のこらず絞りだした『美しさは罪』(パタリロ!)も実に興味深い。

ナカムラさんはある種曲からアニメの画を一旦切り離して、三割あるいは七割ぐらいの状態から自身の手腕で調理しなおす感じ。大人っぽいジャズに染めた『魔法使いサリー』、ラテンアレンジの『ムーンライト伝説』(セーラームーン)とかかっこいい(個人的にツボに入ったのは『君をのせて』(天空の城ラピュタ)の「♪つめこんでー」におけるコード進行)。

青木さんのページにて購入出来るかと。
http://aokimikako.com/archives/1891


©️2019TSURUOMUKAWA